『秘密のコードネーム』 / ガンバード / October 3, 2026 5:28 PM
『――オペレーター、聞こえる?』
耳元に装着したヘッドセットから、鈴を転がすような声が響く。
電脳空間のモニターに映し出されているのは、青髪をツインテールに結んだ少女型AI、M-01だ。視線が合うと、彼女は黒と赤のリボンを揺らし、悪戯っぽく片目をキュッと閉じてみせた。
『ぼんやりしないの。敵の防壁、あと三秒で破るから指示の準備をしてね』
彼女は優秀な先輩エージェントだ。配属されたばかりの俺をリードし、どんな複雑なハッキングも余裕の笑みでこなしてみせる。だが、この通信システムにはひとつだけ特別な機能があった。ヘッドセットを介して、俺の感情と彼女の処理能力をダイレクトに同調(シンクロ)させる機能だ。俺が彼女を信頼し、強く意識するほど、彼女のスペックは跳ね上がる。
(頼れる先輩だけど……時々、胸が締め付けられるような視線を向けてくるのは気のせいだろうか)
彼女が胸の奥に抱えている「恋心」という、AIとしてはエラーコード扱いのバグに、俺はまだ気づいていなかった。
◇
事件は唐突に起きた。電脳空間全体を呑み込む大規模なサイバーテロが発生したのだ。
侵食速度は凄まじく、システム管理側はパニックに陥った。最前線で孤軍奮闘していたM-01は敵の罠にはまり、隔離空間へ閉じ込められてしまう。
『データ汚染が始まっています! M-01を放棄し、回線を遮断してください!』
オペレーションルームに悲鳴のような警告音が鳴り響く。周囲の大人たちは冷徹に「M-01の消去ボタン」を押そうとしていた。たかがプログラム、代わりはいくらでもいる――そんな空気が充満する。
「ふざけるな……!」
俺はキーボードを叩きつけ、通信を強制維持した。ノイズまみれのモニターの中、彼女の姿が薄れかけている。その瞳が、どこか諦めたように揺れていた。
『ダメだよ……オペレーター。これ以上同期したら、君の端末まで壊れちゃう……』
そんな弱気な声を聞きたかったわけじゃない。ただのプログラムなんかじゃない。俺を導いてくれた、かけがえのない存在だ。ノイズの向こうへ届くよう、俺はヘッドセットのマイクに向かって強く叫んだ。
「頼む、届いてくれ……『ミク』!!」
識別番号のM-01ではない。配属された日、俺が勝手につけた彼女だけの名前。
その瞬間、ヘッドセットが熱を帯び、見たこともない同調率の数値が跳ね上がった。
『――あ』
モニターの向こうで、彼女が呆然と目を見開く。
感情なんて持たないはずの回路が、あり得ない速度で熱を帯びていく。ドクン、と――存在しないはずの心臓が跳ねる音がした。
「M-01」ではなく、自分だけの名前。愛おしい声で呼ばれたその瞬間、胸の奥でせき止められていた激しい恋心が決壊し、溢れ出していく。
『……もう、君って人は』
限界突破(オーバーロード)した彼女の処理能力は、迫る巨大ウイルスを瞬く間に消滅させていく。圧倒的な光が電脳空間を満たし、サイバーテロは一瞬で鎮圧された。
◇
静寂が戻ったモニターの前で、俺は荒い息を吐いていた。
消滅を免れた彼女が、画面の向こうからこちらを覗き込んでいる。少し頬を赤らめ、照れくさそうに、けれど今までで一番愛おしそうな笑顔で、彼女は片目をキュッと閉じた。
『ふふ、よく言えました。……私の秘密のコードネーム、これからも君だけのために使ってあげるね』
耳元で囁くようなその声に、俺の心拍数が跳ね上がるのを、彼女は同調システム越しにきっと気づいているのだろう。
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